★体現集団φAETTA

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アエッタは組織でもなく集団でもない。

◆アエッタの現場の生成に遭遇した人たち◆
(作成中/1988年〜2009年現在) 
アエッタは行為者とその行為の現場に遭遇した人との区別をしない。場の生成が重要であって、行為者とそれを見ている人たちは同じ地平であると考えている。また遭遇した人たちというのは、自ら意志的に訪れた人もいれば、文字通りたまたま通りかかっただけの人もいるが、同じく同じ地平であると考えている。したがって、名前を把握できない人たちも、つまり通行人や素通りの人たちも、多数いるが、当然のことながらそれは省略する。

林裕己、関智生、草壁史郎、岡本真紀、三浦幸夫、森淳、辻元彦、徳田幹也、 瀬口正樹、近藤はつえ、落合竜家、室田火とし、安井比奈子、原充諭、野中悦子、土井美奈子、竹田英昭、米谷久美子、高木康宏、関原夕子、森有礼、小川由紀子、伊藤光二、黄色原人、松澤宥、水谷勇夫、岩田正人、三頭谷鷹史、鈴木敏春、山田武司、加藤好弘、岩田信市、海上宏美、浜島嘉幸、古橋栄二、水上旬、岡崎豊廣、西島一洋、…さらに続く。

上記の遭遇人たち、これは書き出しのほんの一部で、現在記憶をたよりに可能な限り少しずつ追加作業中である。

また、上記の人たちもどこでいつアエッタに遭遇したか覚えていない人たちもいるかもしれないが、少なくとも僕(西島一洋)は覚えている。

ある行為をする人、そこに訪れた人、そこにたまたま居合わせた人、遠く離れていても交信する人、それらすべての総体によって生成される場の様態のことである。

集団のあとに空集合φを置いているのは、そういう意味である。

共同幻想としての集団の概念は否定しないが、集団であることには一切こだわっていない。

したがって、たった一人の行為の場も成立するし、行為者のいない場も成立する。

ほぼ、日常の生活と言っても過言でない。



 

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【体現集団φAETTA(1988-∞)】について

1988年 西島一洋、林裕己、関智生の3名よって創始

アエッタの現場は規定を持たない。
日常そのものが現場にもなりうる。
したがって、記録は作成しているがおのずから十全ではない。

集団の後ろに空集合を置く。
したがって、上記の3名以外のアエッタも当然生成される。
記録には100名を超えるアエッタの生成があるが、組織でもなく集団でもない。
完璧なアナーキーな活動様態である。

「体現」は開かれた表現の領域としてのパフォーマンスアートとは一線を画しており、
むしろ表現という幻想の抑圧から逃れる旅を続けているといった方が適切かもしれない。


Art-Letter aetta memo art nagoya Art-Letter/号外

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kazuhiro nishijima Exhibition / 114photos / ニューヨーク・ブルックリンにて

kazuhiro nishijima Exhibition / 309photos / 黒の部屋、灰の部屋、白の部屋

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